コラム
自分に正直じゃなくてもいいのかも

はじめまして、啓(けい)です。タイトル見て「はぁ?なんだこいつ」と思うかもしれませんが、まあちょっと聞いて(読んで)みてください。
LGBTQ+の話になるとやはり
「ありのままの自分で生きていこう!」とか
「そのままのあなたで良い!」
といった言葉を聞きますが、自分に正直でいるって真面目な人ほど疲れちゃうのも事実で。自他共に認めるクソ真面目でバカ正直な僕も例外じゃありません。
僕について
自己紹介
まずは自己紹介をば。僕のセクシュアリティを説明するには、FtX・レズビアン・クロスドレッサーの3つの用語を使うと便利です。
※用語説明は長いので流し読み推奨
・FtX(Female to Xジェンダー):身体の性は女性で自認は中性とか無性とか両性とか色々
僕の場合は中性になるのかなあ。男性・女性どっちつかずの認識で、あくまで女性の身体を使用しているだけ、という感覚が近いです。
・レズビアン:女性が好きな女性
FtXで書いたように、僕は性自認が女性ではないので「女性が好きな女性」すなわちレズビアンかと言われると微妙なところもあります。でもビアンのオフ会とかには行きます(そうじゃないと出会いがないので笑)。ウーマセクシュアル(性自認に関わらず恋愛対象が女性)っていう言葉があるみたいなのでそっちのほうが近いのかな。でもあまり知られてないからなあ。
・クロスドレッサー(異性装者):身体の性別と異なる服装をする人
僕は圧倒的にメンズ寄りの服を着ます。一時期はボーイッシュという言葉でさえ嫌でしたが(女性に対してしか使われない言葉なので)、まあ身長の問題があるのでズボンはレディースを買うことも多いです。最近はユニセックスの服装も多く売られるようになっているのでわざわざ「僕はクロスドレッサーです」と言うことはないです。
今でこそ用語を使いながら自分なりにセクシュアリティを説明できますが、ここまで来るには本当に色々なことがありました。
自覚と罪の意識
初めてセクシュアリティを自覚したのは高校2年生の頃。同じ部活の女の子を好きになったのがきっかけでした。当時は今ほど同性愛についての認知度が高いわけじゃなかったし、テレビの中のいわゆる「オカマ/オネエ」タレントはまだまだ笑い者の時代でした。
※今思うと失礼な話ですが※自分も同じように笑い者になるかもしれないとすごく怖かったのを覚えています。
女なのに女が好きなんて自分は変なんだ
女なのに女を好きになるのは悪いことだ
隠さなきゃ、誰にもバレないようにしなきゃ

女の子を好きになるってことは自分は男になりたいのか?と性自認についても考えるようになり、女扱いされることをすごく嫌がり、女の子の色とされがちなピンク色が大嫌いになりました(今はそうでもないですが)。
男なら女を好きになってもいいのに
好きになっても普通なのに
…そんなことを思っていたからかもしれません。
まるで知らないうちに罪を犯していたかのような、罪がバレて逮捕されないように必死で何事もないフリをするような、そんな苦しい日々でした。
自分の気持ちを抑え続けるのに限界が来た僕は結局、好きだった女の子に告白して振られました。その子は「言ってくれてありがとう。(好きになってごめん、なんて)謝らないで」と言ってくれました。告白からしばらくはギクシャクしていましたが、紆余曲折あって今ではもう8,9年来の仲です。ありがたい…。
理解者に囲まれた環境
さて、高校でセクシュアリティを自覚した僕は、大学進学を機に地元を離れることになりました。知り合いもほとんどいない状態からのスタート。そして親元を離れて生活していたのをいいことに、自由を謳歌していました。
大学ではLGBTQ+サークルに入り活動。先陣を切ってイベントを企画!…はできなかったけれど、自分なりに雰囲気作りとか盛り上げ役とか色々と頑張っていました。他にも女性が好きな女性を対象としたイベント(オフ会)にも参加したりして、僕と同じようなセクシュアリティの人が実際に居る!と感動したのを覚えています。
そしてLGBTQ+といえば、レインボープライド!初めて参加したときはまだコロナ禍になる前だったこともあり、セクマイ(セクシュアルマイノリティの略、性的少数者)・アライ(セクマイの人たちを理解し支援する人たちのこと)、セクマイを否定しない人がこんなにもたくさん居るんだと、感動して泣きそうでした。セクマイ・アライの人はこの世に存在するんだと頭では分かっていたけれど、大勢の人を実際に目にしてやっと実感がわきました。”仲間”はたくさんいる、一人じゃない、というのを自分の目で見て実感できたのは今でも本当に大切にしている記憶です。
学年が上がるにつれてサークル活動も活発になり、周りにはセクシュアリティに理解がある、もしくは理解しようとしてくれる友人ばかりになりました。すごくすごく居心地が良かったです。僕自身もやっと自分のセクシュアリティをつかめるようになり、女性が好きなことは少しも悪いことじゃない、女性らしくいられないのも少しも悪いことじゃない、と自身を受け入れられるようになっていたのです。
自分を偽らないのってなんて楽なんだろう!

やっぱり僕は少数派
そんな僕が、自分に正直に生きるのって疲れるなと思ったのは、社会人になってからのことです。
僕のセクシュアリティを知らない家族
大学卒業後、僕は就職の都合で実家に戻ることになりました。元はと言えば親元を離れたのをきっかけに自由を謳歌していたので、また窮屈な生活が始まります。家族にはカミングアウトしていないですし、よっぽどのことがない限り今後する予定もありません。
幸い家族とはもともと恋バナはあまりしないですし、結婚についても両親自身が比較的遅めだった(しかも母は高齢出産だったらしい)ので急かされることはほぼありません。
とはいえ服装や髪型についてめちゃくちゃ言われます。
僕が手に取ったメンズ服に対して『それ男物じゃん!』と言われたり、
短く刈り上げた僕の髪を見て『誰が切ったの!!』と、まるで僕が被害者かのように驚いたり、
さらに、「付き合うなら年上がいいな」と漏らした僕に『確かに年下の男はやめたほうがいいよ』と僕の恋愛対象が男性であると信じて疑わない発言をされたり、
居心地悪いなと思う機会が増えました。
いつの間にか友人のほとんどは僕のセクシュアリティを知ってくれている人たちばかりになっていたのもあり、セクシュアリティを言っていない状態でどうやって関わっていたっけ?と、”セクマイを知らなかった頃の感覚”を忘れていたのです。
それは家族だけでなく職場も同じでした。
職場で僕が女性として扱われる瞬間
※誤解のないように言っておくと、会社の人事の方には性自認について話をしているので味方はいますし、普段の業務で性別に言及されることはほぼない良い職場です※
そんな良い職場でもモヤモヤする瞬間があります。
普段チームで仕事をするのですが、メンバーが流動的でよく入れ替わります。今所属しているチームの顔合わせの際、チームリーダー(上司)が
「そういえばぼく以外全員女性ですね」
と言ったのです。
(んんん?僕も女性として見られてるってこと??
僕は僕のこと一度も女性ですとは言ってないぞ??)
さらに、当日不在だったメンバーAさんについて「来月からチームに入るAさんは新卒で女性の方です」と紹介していて、
(んんん?Aさんが女性だってAさん自身は言ってたっけ??
わざわざ言う必要なくない??)
とモヤモヤ。
また、僕の会社では健康診断の日程が男女別で決められているため、いつ健康診断に行くかで性別が”バレる”ことになります(例: 6月10,13日は男性、12日は女性)。まるで年一回の強制カミングアウト。
僕は自分で自分のことを女性だと表明することが一番嫌いなので、毎年毎年嫌だなあと思うのですが、それなりに従業員数も多い会社のため規模や準備のことを思うと男女で分けるのが効率良いんだろうなとあきらめ気味。でもやっぱりなんだかなあ…とこれまたモヤモヤ。
僕を女性だと扱う社会に対して、
「僕は自分のこと女性だと思ってないんだが??」
「男性には(恋愛対象として)興味ないんだが??」
「女性だからって結婚・出産・育児が、当たり前にあるわけじゃないでしょうよ!!!」
「そもそも女性同士は今の日本じゃ結婚できないのよ!!!」
正直に生きる≠楽に生きる
と、叫べたらスッキリするんでしょうけれど、さすがにリスキーですし、僕のセクシュアリティってひとつひとつ説明するには(自分で言うのもなんですが)めっちゃ長い(笑)。
それに、社会人になってから付き合う相手を選べない場面も増えました。仕事でしか付き合いがない人、多分その場限りでもう会わないだろう人にまで自分のセクシュアリティを説明するのはぶっちゃけ面倒くさいです…
僕は自分で自分のことを女性だと思っていないけれど、家族や知り合いから女性と思われていることを知っています。
僕がどう思おうと僕が女性だって決めたのは社会でしょ。
身体の性別は女性だもんね、
だから身分証も女性になってるんでしょ、知ってる。
もちろんセクマイはここ数年でどんどん可視化されて、認知度もだんだん上がってきています。レインボープライドや同性婚の訴訟、盛んに活動するLGBTQ+サークルやコミュニティ、カミングアウトして活躍するYouTuber。そういった活動や人々を見て羨ましく思うこともあります。自分もそうなりたいって。セクシュアリティをオープンにして自分を偽らずに生きていきたいって。
でも、正直に生きるって楽じゃないです。
カミングアウトした結果、変に広まって印象が悪くなるリスクを考えたら、
引っかかる表現をいちいち訂正して面倒ないざこざを生むくらいなら、
自分の複雑なセクシュアリティを説明して労力を余計に使うなら、
無理に正直でいなくてもいいのではって思うんです。
正直に言わないからって嘘をついてるわけじゃないし、気疲れするくらいなら、言う必要のないことは言わないで楽に生きていくのも処世術ではないかと。疲れ果ててしまわないように、今はもうちょっと楽に生きていこうって、そう思うんです。
…ただやっぱり本音は、ちょっぴり息苦しい。モヤモヤも溜まる。だから時々セクマイ仲間と話をします。
僕と同じように勝手に女性扱いされたり、恋愛対象が男性だと決めつけるような発言を聞かされたり、生きづらいねって話をして、息継ぎをしているのです。僕は少数派だけど1人じゃないって、都度確かめるように。
正直に生きる「=」楽に生きる になればいいのに

と、自他共に認める生真面目な啓(けい)は、切に願うのでした。
著者:【啓(けい)】