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日本語の一人称
一人称って本当に多いですよね。私、僕、俺、ウチ、あたし、あたい、ワシ、オイラ、あちき、我(ワレ)、自分etc…
英語はI、中国語は我(wǒ)なのに、日本語はあまりに多い。
そして性別とも密接に関わっています。
歌詞なんかでよく使われるのは
『僕』、『俺』といったら→男
『私』、『あたし』といったら→女
というのもあって、小学生の頃なんかは男の子が『僕・俺』、女の子が『ウチ・あたし』が”普通”でした。逆だとからかわれたりしたものです。
女性として生まれた啓の一人称は、最初から『僕』だったわけではありません。どのように変わっていったのか、性自認の揺れも絡めて振り返ってみたいと思います。
啓の一人称
幼少期 『自分の名前』
最も古い記憶では僕の一人称は自分の名前(本名)でした。ここでは便宜的に名前を『啓』として話を進めて行きます。
「啓は〜」、「啓も遊ぶ!」、「啓がやる!」「啓と一緒に来て!」などなど…
よくよく考えると、名前とは、親を始め兄弟姉妹や学校の友だちといった自分以外の周りが自分を呼んだり指したりする際に使う言葉。この言葉は自分のことなんだ、これが自分を指す言葉なんだ、と認識するのでしょう。
みんな自分のことを啓と呼ぶ。親も親戚も友だちも「啓〜」「啓ちゃん!」と呼ぶ。どうやら『啓』というのは自分のことを指しているらしい。自分は『啓』と言うんだ!
といった気付きがあるんじゃないかと思います。
小さい頃はませている子を除いて、一人称が自分の名前である子が多かった気もします。僕も例に漏れず、しばらくはずっと一人称は自分の名前でした。
中学時代 『オレ』と言う先輩
幼少期の次が中学時代、おいおい小学生の頃は?飛ばしてない?というツッコミが聞こえてきそうですが、何を隠そう、小学生時代もずっと一人称は自分の名前だったので割愛します笑笑
※もちろん発表の場や先生と話すようないわゆる公式の場では『私』を使っていましたよ!
僕は部活の先輩が、女子なのに自分のことを俺と言っているのを耳にします。普段は『私』、『ウチ』なのですが、気を許している時に「俺は〜」と話すのです。
※ちなみにアクセントは”お”に付きます。イチゴオレのオレです。
衝撃でした。女子の一人称はみんな『私』とか『ウチ』とか自分の名前だと思っていたのに、『俺(オレ)』と言う先輩。正直めちゃめちゃ違和感ありました。
(今思えば、いわゆるオタクで、僕っ子とか俺っ子とかそういう類のものだったのかなあと思います。)
先輩がどうして自分のことを『俺』と言うのか、その理由より何より、女子の中にも『俺』って言う人がいるんだ…!というのが当時の僕にとってはまるで世紀の大発見みたいでした。
高校 1日1私、時々『俺』
中学時代も一人称が自分の名前だった僕は、高校に来て『私』率の高さに驚きます。クラスに20人女子がいたら、その中で一人称が自分の名前なのはほんの1,2人。そして一人称が自分の名前なのは幼稚、恥ずかしいみたいな空気も感じていました(勝手に)。
この歳で一人称自分の名前って恥ずかしいのでは…?直さなきゃ!!
(僕はこの選択を後に後悔することになります。だって一人称自分の名前って普通に可愛い←)
同じ部活に、僕と同じく一人称自分の名前の子が1人いて、一人称の話で意気投合しその子と一人称変えようキャンペーンを始めることにしました。
やり方は簡単。1日1私(いちにち いちわたし)です。
え?なんだそれ?
と思ったそこのあなた!これは、無意識に自分の名前で話をしちゃうのを、1日1回は『私』って言おう!というものです。
「啓も学級委員やってた!」「あ、それ啓の!探してたのありがとう〜」
と思わず言ってしまうのを、
「け…私も学級委員やって!」「あ、それ、k…私の!探してたのありがとう〜」
のように変えるのです。
女性性を否定するための『俺』
そんな『1日1私』にも慣れてきた頃、僕の一人称はまた迷子になります。
女の子に恋した(詳細はこちら)ことによって、自分が男だったらいいのに、と自身の女性性を否定するようになったからです。
高三の頃は『俺』と言うようになり、「なんで俺って言うの?」と聞かれることも増えました。
なんて答えていたのか正確には覚えていませんが、何かバレてしまったのかと緊張しながら「一番しっくりくるから…?」としどろもどろで答えていた気がします。
しっくりくるとか言いながら、正直違和感はありました(笑)
セクシュアリティが揺れに揺れたこの頃、僕はとにかく自分の女性性を否定したくて、自分の性的指向を認めてあげられなくて、一人称が迷子でした。
幸か不幸か、『1日1私』のおかげで無意識に出る一人称は『私』にいつの間にか矯正されていたため、実生活で困ることは特になく、違和感のある『俺』も受験勉強に専念するにつれて使わなくなっていきました。
大学では『僕』
大学でLGBTQサークルに入ったことにより、僕の世界は広がっていきます。当事者向けのオフ会に参加して知り合いも増えました。そこには色々な一人称がありました。
アタシ、わたし、ぼく、俺、ウチ、自分、などなど…
せっかくLGBTQ界隈で使う名前(=啓)を作ったのに、本名を一人称にするのは違う気がする、『私』は特に意識しなくても言えるから練習しなくていいし、『俺』は男らしさや雑さを感じてやっぱりしっくり来ない、うーむ。
そうだ、『僕』を使ってみよう!
『1日1僕』はしませんでしたが(笑)、やはり一人称を変えるのはそれなりに大変です。言い慣れていないし、勇気も要るし、周りの目も気になります。
それでもだんだんと『僕』に慣れていき、サークルメンバーの前では『僕』で話せるようになっていきました。
公的な私と気を許した僕
『僕』がしっくりくるようになった頃、『私』と言う時と比べて自分のテンションが若干違うことに気が付きました。
セクシュアリティを知ってくれている安心感、『僕』という一人称が持つ若干の子どもっぽさ、それらのおかげか『僕』と言う時の啓は少年のようなあどけなさを持ちます(当社比)
博物館や水族館に行ってはしゃいだ時や、ほろ酔いで気分がよくなった時なんかは『僕』と言う一人称も相まって童心に戻れることに気付いたのです。
そのため、セクシュアリティについて何も言っていない家族に対してでもたまに『僕』が出てきます。
僕「ねえそれ僕もやってみたい!」
父「はいはいボクもやりたいのね」
みたいになんてことないように言われることも増えました(ありがたや…)
『僕』と言う理由
僕は『僕』という一人称を使うほうが、『私』と比べて精神年齢が低くなります。だから正直、『僕』を使いながらこうした真面目な?コラムを書くのにはいまだに慣れません。『僕』は本来せいぜい中学生くらいですから…。かといって『私』を使うと対外用としての表現ばかりになってしまいそうで、自分の言葉で語るために『僕』を使うことにしています。できるだけ等身大の、当時と同じくらいの気持ちを、当時と同じような語彙で、表現したいと思うのです。
※啓の一人称は精神年齢が違うイメージです。
・自分の名前(本名)→5歳未満※幼少期
・僕→7~14歳くらい
・私→20歳以上
社会人になり、普段から『私』を使う機会が多くなったせいで『僕』を使う機会も減ってきました。そんな啓にとって、『僕』でいられる時間は貴重です。『僕』と言わせてくれる皆々様、いつもありがとうございます。
大人になっても『僕』がいなくならないように
時々はしゃがせてやらないとな
なんて。一人称複数ユーザの啓は、思うのでした。
著者:啓(けい)