性自認
生き方
セクシュアリティ用語の功罪

功罪なんてかっこつけて難しい言葉を使いましたが、ものごと良い面も悪い面もあるよね、という話です。
僕自身、セクシュアリティの用語を知り、ああ自分はこれだったんだと、救われた経験があります。
一方で*ステレオタイプにより”らしさ”を履き違えていた時もありました。
*ステレオタイプとは多くの人に浸透している先入観、思い込み、認識、固定観念、レッテル、偏見、差別などの類型化された観念を指す用語(Wikipediaより)
自覚の経緯
僕は女性として生まれ、社会的には女性として生きています。性自認は男女どちらでもなく、恋愛対象は女性です。
今でこそこうして自分のセクシュアリティを説明できていますが、最初に「あ、僕、人と違う」と自覚したきっかけは高校時代に同級生の女の子を好きになったことでした。
当時はテレビでオネエタレントが笑い者になっていた頃。LGBTなんて言葉の認知度もまだまだでした。女として生まれた僕が女の子を好きになるのは変なことだ、おかしいことだ、好きになってはいけないんだ
と自分を責める日々でした。まるで知らないうちに罪を犯していたような、バレたら捕まってしまうような、そんな恐怖からひた隠しにしていました。
それがあまりにつらくて、スクールカウンセラーの先生に話を聞いてもらっていたのですが、
先生、女の子を好きになっちゃダメですか
と泣きながらこぼしたのを覚えています。
用語に翻弄される
僕はバイセクシュアル?レズビアン?
女として生まれて女の子を好きになった。そんな僕がまず見つけた用語は『バイセクシュアル』でした。中学時代はクラスの男子を好きになったこともあったからです。でもよく考えたら中学時代に好きになった男子は恋愛としての好きじゃなかった、彼氏彼女といった単語が気になる思春期に、恋に恋をしていただけかもしれないと思いました。だって同級生の女の子を思うこの気持ちのほうがうんと大きくて厄介で抑えられないんだもの。 じゃあ『レズビアン』なのかと考えた時、男性を好きになったことがあるのに言っていいのかなと自信がなかったです。
僕は性同一性障害?
性自認についても、女の子を好きになるってことは男になりたいのか?と考え、『性同一性障害』という用語を知りました。金八先生の上戸彩さん演じる生徒にとても共感したと同時に、違和感も感じました。
僕は男として生きたいわけではない。
月一の生理も胸があるのも嫌だけど、性転換手術(性別適合手術)はしたくない。男社会で過ごしたいわけじゃない。僕は性同一性障害ではないのかもしれない。
僕は誰だ?
セクシュアリティ用語を知ってはその定義に当てはまらない自分がもどかしくて、ただでさえ今まで立っていた足場が無くなったようだったのに、足場=用語を見つけた!と思ったらまたその足元が見えなくなって、一歩でも動いたら足を踏み外して落っこちてしまいそうで、そんな恐怖の中で必死で自分を表す言葉を探していました。
用語に救われる
そしてやっと辿り着いたのがXジェンダーという言葉でした。Xジェンダーとは多くの場合、下記3つに大別されます。
1, 男でも女でもない(中性)
2, 男でも女でもある(両性)
3, そもそも性別の概念がない(無性)
僕の場合は1, 中性の考え方がいちばんしっくりきました。また、体は女性なのでFemale to X genderと表現し、略してFtX(エフティーエックス)。
なんか英語*だしかっこいいしコレだ!と安堵したのを覚えています。
*Xジェンダーは和製英語なので、ノンバイナリーなどと表現することが多い。
後日僕がXジェンダーについて自分がそうかもしれないと話した時、スクールカウンセラーの先生は、
「自分でそこまで調べてえらいね」
と言ってくれました。まさかそんなこと言われるとは思っていなくて、ただ自分を必死で探していただけで、でもその過程ごと丸ごと肯定されたようでとても嬉しかったです。
こうして僕はXジェンダーというセクシュアリティを見つけました。めでたしめでたし、となれば良かったのですが、
こんな自分じゃXジェンダーって言えない、こんな自分がレズビアンの集まりに参加していいのかな、と言葉に自分を当てはめて苦しくなっていきました。
用語に縛られる
“ボーイッシュ”に見られたくない
今でこそ言われてもなんとも思わなくなりましたが、その見た目からボーイッシュと言われることが多かったです。でもこの言葉、女性にしか使いませんよね?知り合いほぼゼロの大学に進んだので初めて会う人ばかり。親元を離れて服装にとやかく言われることもない!僕はメンズ服を来て、大学生活を謳歌しようとしていました。
でも友人からはボーイッシュだよねと言われていました。確かに今思うと『女子』の域をでない格好ではありましたが、当時の僕は中性というより「女でいたくない」という思いが強かったのもありとても悲しくなりました。
まだ足りないのか。まだ”女”に見えるのか。
これじゃあ『男でも女でもない』Xジェンダーじゃないじゃんか!!
ビアンの集まりに参加してもいいのかな
ビアン(=レズビアンの略称)のオフ会に行った時も『女性が好きな女性』という言葉にどこか後ろめたさを感じていました。性自認は女性ではないからです(男性でもないですが)。
しかしその集まりで初めてレズビアンと言えど色々な人がいることを知ります。
いわゆるフェミニンな格好をしている人、ボーイッシュな格好をしている人、自分のことを女性だとは思ってないけど男性だとも思ってない人、本人が女性だと思っていれば生まれの性別関係なく好きになるという人。レズビアンだからといって全員が全員、
女性として生まれ、女性として生き、女性と自認しているわけではないと知りました。今思えば当然のことなんですけどね。
Xジェンダーは○○であるべき、レズビアンは○○であるべき、といったステレオタイプにがんじがらめになっていたのは僕のほうだったのです。
用語を手放す
僕は用語に当てはめるのをやめました。もちろん、レズビアンやFtXという単語を使うことによって説明しやすくなり、理解されやすくなることもあるので使うこともあります。ただあくまでも「強いて言うなら」です。
僕は女性として生まれました。自分のことを女性だとも男性だとも思っていません。恋愛対象は女性です。
というのが今のところの僕のセクシュアリティです。というか僕です。
ひとつひとつ説明するのはちょっと面倒だけど、でもそれが僕。
用語に翻弄され、救われ、縛られ、用語を手放した啓は思うのでした。
著者:啓(けい)