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もし母がS君と夫婦になれてたら〜トランスジェンダーと家族と結婚と〜
彼は美輪明宏様の生まれ変わりなんじゃないか。
そう信じているほど、私はドリアン・ロロブリジーダさんを敬愛している。その氏が先日、結婚された。パートナーはトランス男性とのこと。
数日後、トランス女性とトランス男性夫婦のインタビュー記事を読んだ。
どちらのカップルにも幸多からんことを。どうか末永く。
ちなみに。2024年3月時点で、美輪様はまだ死んでない。たぶん美輪様は死なない。
それはさておき。ニュースを目にして、むかし一緒に暮らしていたS君のことを思い出していた。
私が大学に入り、卒業・就職を経て一人暮らしを始めるまでだから、同居歴は6〜7年といったところか。
S君は母親の彼氏だった。そしてトランス男性だった。
母親の同僚。おたがいアパレル店員で、店がお向かいだった。東京の切れ端のような町で、うつむいたように傾いた、ガムテープだらけのショッピングビルで出会った。
その日もS君は、仕事帰りにうちへ遊びに来ていた。彼の家とは逆方向の電車に乗って。
母親はまだ帰宅しておらず。二人きりで交わす会話は、めんどくさいお客に変なあだ名をつけたことや、私のガールフレンドのこと、高校生の弟が色気付いてきたことなど。
数秒の間があいて、テレビの中でサッカー選手がシュートを決めた瞬間。
「ほら、じぶん母ちゃんのこと好きじゃん?」
S君は自身を「じぶん」と呼んだ。軽口を装った、真剣な愛の告白。しかも、愛しい人の息子に。ゴール!とは程遠い、今にも泣き出しそうな作り笑いだった。
「うん。知ってる」
まあそんなこったろう、と察しはついていた。
「ここに一緒に住んでいい?」
ピタリと合わさった両膝。その上でぎゅっと握り締められた彼の手を、なぜか今も覚えている。色白で、ぷっくりまるまるしていた。
それにしても、話がトビすぎやしないか。
でも、まいっか。愛は飛躍。そんな格言ないけど。
「ああ。いいんじゃない?」
私は即答した。
「おお!よかった!ありがとう」
ドラちゃんの両手が私の手を包み、ブンブンと振った。清き一票に感謝!の勢いで。
それまでも我が家には、いろんな人間が入れ代わり立ち代わり暮らしていた。ホスト。風俗嬢とその娘。元ヤクザにして現役の犯罪者。みんな母親が連れてきた。そしてみんな出ていった。
だから。一緒に暮らしていきたい人がいる。それだけで奇跡的なことだと知っていた。S君が男性だろうが女性だろうがそれ以外だろうが、関係なかった。彼は彼。もし当時トランスジェンダーという言葉を知っていたとしても、「何か不都合でも?」ってなもんだったろう。
それに、S君には帰る場所がなかった。頼る家族がいなかったのだ。彼もまた母子家庭で育っていたのだが、親はあくまで娘としてのS君に固執した。頑なに「S子」と呼び続ける。「ダメだこりゃ」と彼は思ったらしい。中学を卒業してすぐに家を出ていた。
だからここが彼の実家になるのなら、それに越したことはなかった。
私はかねてから母親に「もうオトコをつくるのはやめておけ」と釘をさしていた。さんざん痛い目にあってきたから。
だからS君を前にして
(こういう意味じゃねーんだよ、母ちゃん・・・)
とは、思った。正直、戸惑った。少しだけ。いや、かなり。
今となってはS君に本当に申し訳ない愚考だったのだが、10代の青年にはかなりインパクトのある展開だったことは間違いなく。平静を保って即OKを出したかつての自分に、「お見事」と言ってやりたい気持ちもある。
その甲斐あって、一緒に暮らした何年間かは、おそらく草冠家が最も平和だった数年間だった。
私の母は美しい人で、病的な他力本願主義者だった。そんな主義あってほしくないのだが。
カルビを前にして「ワタシは焼いたことがない」と嘯いたこともあった。明菜ちゃんではない。今までずっとオトコに焼かせてきた、という意味だ。そしてそれは、あながち嘘でもなさそうだった。飾りじゃないのよトングは。
そんな母とS君はうまくやっていた。一緒に風呂に入り、同じベッドで布団を分け合い、金はないけどよく笑い、どこか気高い二人だった。いや、家族全員がそうだった。あの時代だけは。
私もS君とは一度だってケンカなんかしなかったし、飼い犬が死んだ時は一緒に泣いた。デート服を選んでもらったし、弟の秘密をこっそり報告しあったりもしていた。
もちろんデリカシーは必要だったけれど、それは同居マナー以上の特別な何かではなかった。
一方の彼は、今思えばとても気を使って暮らしていたのかもしれない。それでも、居心地はよかったはずだ。ビールを飲む横顔を見れば、だいたいは分かる。
それと、一人称。
S君は職場や外出時には、自らを「じぶん」と呼んだ。ちょっとカッコつけて硬派な感じ。しかし本当は「僕」でも「俺」でも「私」でも、なんだかいろいろシンドかったのだろう。消去法で残ったのが「じぶん」だっただけだ。自己紹介からして、他人に理解してもらうことを諦めている様子だった。
家では、それが徐々に変わっていった。
「じぶん」が、いつしか「俺」になった。なにか下手に出るときだけ「僕」を使う。今日の夕食つくるの代わって、とか。お前のアイス食っちゃったゴメンとか。それ絶対、確信犯だろ。
私が母親をママと呼ばなくなったのはいつからだろう。覚えていないけれど、おそらく当時の私には大変な勇気と、成長を宣言するような気恥ずかしさがあったに違いない。たぶん子どもなりに作戦めいたものも。
ましてS君は自分自身のことだ。いたって自然だった「じぶん」「俺」「僕」の出世魚。その裏には、いろんな感情が重なっていたに違いない。
そうやってお互いの呼び方が変わるくすぐったさは、家族のふれあいから生まれるものかもしれない。親子であれ、夫婦であれ、だ。
だから、想像してみる。
母親とS君が、もし結婚できていたらどうなっていたんだろうと。
私が家を出ることには変わりなかったろうし、その後なんやかんやで家族という形がボロボロと崩れることもまた避けられなかっただろう。
でもS君にとっては、自分で選んだ家族というものを、いっときでも作ることができたはずだ。
私だって5歳そこそこしか離れていない彼を、「パパ」「お父さん」と呼んでみたかもしれない。たとえ冗談まじりだったとしても、それが彼の生き方にどれだけ追い風となっただろう。息子になった私は二人を、いや、S君の飛躍を祝福するに決まっていた。
当時は、S君はS君のままで結婚することはできなかった。そして、今もそうだ。
誰でも自分のままで結婚できる。それって、そんなに弊害を生むことなのか。制度でバリケードをはるほどのものなのか。
健やかなる時よりも、病める時の方が多いような人生で、共に歩んでいく気になれる人なんて、そうそう見つからないのに。
日本の家族観が崩壊するとか言っている人たちもいる。自分の家族が崩壊した私から言わせれば、家族が家族でいられる時間は家庭によって長短がある。悲しい相対性理論。その瞬間を大切にして何が悪いのか。セクシャル・マイノリティ当事者だけが当事者ではないのだ。
ドリアンさんたちや、トランス同士の御夫婦のようにはいかなかった人たちが大勢いる。今までも大勢いた。S君も、そんな一人だった。
他にもいろいろな記憶がぶり返す。
私の友だちとS君。ガールフレンドとS君。祖父母とS君。
S君の転職のために職務経歴書を一緒に作ったこと。私の作った炒飯を美味しいと言ってくれたこと。身体への違和感や呪いを語ってくれたこと。
私は親族の誰にも、娘を会わせていない。それどころか、知らせてすらいない。
でも、S君には知らせてもよかったな、と思う。娘が生まれたことを。性別を問わず使える名前をつけたことを。
もし再会するとしたら、いろんなカップルが結婚している街角がいい。家族同士でばったり遭遇なんて最高だろう。
S君がどこにいるか、今は誰と暮らしているのか。もう知るすべはないけれど。
ま、彼のことだから、新しい彼女とチャッカリよろしくやってるに違いない。
(終わり)
【著者】草冠結太
ダイバーシティ・コンテンツ・リサーチャー。ダイバーシティ&インクルージョンにまつわるイベントやコンテンツを幅広く取材・執筆。あとヒップホップも。
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